読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

いいこと探しは、あえてしない。

ありがとうございます
今日は、まずお礼が言いたくてブログを書いています。
先月投稿したこの記事のこと。
 
投稿する直前まで、渋谷のカフェで友達に何度も何度もどうしようかな、やっぱりやめようかなって話していたんだけど頑張ってよかった!
 
インターネットに何かを載せるということは、誰がそれを見るかなんて本当に分からないってことだから。
 
中には私よりずっとひどい病気や他の問題を抱えている人もいるだろうな。
最近何もかも上手くいかなくて、投げやりに誰かにいじわるな言葉を浴びせたいような気分になっている人もいるかもしれない。
もしくは他人じゃなくても、何も知らなかった友達や知り合いはどんな気分になるのかな。
なんて色んなことを考えながら最後の最後まで迷っていたけど、人に勇気を出そうよって言おうとしている本人がこんなことでどうする!一生懸命書いたしあとはどうにでもなれ〜!!と思ってTwitterFacebookの投稿ボタンを押しました。
 
そうしたら5分も経たないうちにケータイが鳴り止まないほどの通知がきて、画面いっぱいにあたたかい言葉が溢れていったんです。
メッセージやコメントは、約3週間が経った今もたくさん届いていて・・・
「絶対治るよ」
「ありがとう」
「大丈夫だよ」
顔は見えなくてもひとつひとつに優しさやあたたかさを感じて、言葉ってなんて尊いんだろうと思えました。
 
ありきたりなことしか言えないけれど、本当に本当に、ありがとうございます。
 
 
いいこと探しは、あえてしない
普段からポジティブでいたいと思っている私は、何か嫌なことが起こるといいこと探しをするのが癖でした。
ちょっとしたことなんだけど、例えば1本バスを逃したら、代わりに歩けていい運動になった!とか、お気に入りのケーキが売り切れていたけど、その代わりに新しいお気に入りを見つけられた!とかそんなこと。
 
でも病気になったことだけは、いいこと探しをするのはやめようと思うんです。
このことに限っては、粛々と冷静に受け止めるしかないと思うから。
今も元気で、アメリカで夢の続きを追っていられたら。飛行機に乗って、世界中をびゅんびゅん飛び回れたら・・・
それはもちろん、そっちの方がよかったもの。
できるなら、背負いたくない運命だった。
 
仕方のないことだけど、どれだけ強くあろうと構えていてもやっぱり夜にひとりで家にいるときや留学時代の友達のSNSを見ているときにふと、ああなんで私がって思っちゃう瞬間があるんです。
今私は東京で高校生のときからの大親友と2人で暮らしているんだけれど、今まで何回かその子の前で病気のことで泣いてしまったこともあって。
 
そんなときに私を慰めながらその子がぼそっと言った、「生きてるとさ、自分ではどうしようもないことも起きるよね」っていう言葉。
 
どうしようもないこと。
 
全くその通りで、それ以上でもそれ以下でもないんですよね。
 
だから私は病気を長い人生の中で起こったひとつのどうしようもないことだと思って、その上でどうしていくのか時間をかけて考えていきたいと思っています。
 
よくなるために、できることは全部する。
ときどき悲しくなってしまうのは仕方のないことだから、そんなときは周りの優しさに少し甘えて、そして私も恩返しの優しさで返してあげる。
いつか絶対に旅の続きができることを信じて、目の前にあることに全力投球する。
 
それがいまの私にとっての、いまを生きるということなのかなと思います。
 
優しい言葉や素敵な言葉、あたたかい言葉をプレゼントしてくださった方をひとりずつぎゅーっとして、直接お礼を言えたらどんなによかっただろう!
こうして文章を書くことしかできないのがもどかしいです。
 
あたたかくなってきましたが、風邪を引かないように気をつけていてくださいね。
 
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

聞いてほしいことがあるんです。

 私について
こんにちは、さくらです。
 
私のことを知らない人のためにざっくりと自己紹介をしておくと、私は95年生まれの21歳。富山県のとあるちいさなまちの出身で、中高時代に独学で勉強した英語をつかって高校卒業後はアメリカ・シリコンバレーに渡りました。
最初はシリコンバレーの学生らしく(?)メディアを運営したりしていたのですがアメリカ人の友達がほしくて高校時代にやっていたチアを再開したら、楽しくて大会にまで出るようになってしまい・・・気付けば大学でも練習漬けの毎日でした。
チア服姿で学校に通って、放課後はおしゃれが大好きなチームメイト達とダウンタウンでハングアウト!ドラマで観て憧れていたような学校生活が叶えられて、嬉しくて仕方ありませんでした。
カレッジを1年で卒業できることになったので帰国し、リクルートHDを経て現在はラブグラフというスタートアップでお仕事させて頂いています。
 
 
はじめに
あのね。私、みんなに聞いてほしいことがあるんです。
 
たった数十文字を言い出せないまま、どれだけの時間が経ったんだろう。
 
何ヶ月も前からずっと、大切なことだと思うから伝えたくて、でもそれと同時に反応がこわくて伝えたくなくて。
迷い続けてやっと決心がついたので、がんばって書いてみますね。
重すぎないかな?変わらず接してもらえるのかな??
不安は尽きませんが、最後まで読んで頂けると嬉しいです。
 
去年の春から今日までの約1年と、これからについてのお話です。
 
 
6月のこと 
去年、つまり2016年の4月。予定よりはやくアメリカのカレッジを卒業できることになった私は、同級生より一足先に富山の実家へ帰ってきました。
家族と1年に2回は帰ってくることを約束していたから、あのときもせいぜい数ヶ月ぶりの帰国ではあったんだけれど。それでも家族や地元の友達に毎日会えるのはもちろん嬉しいことで、LINEや電話では伝えきれなかったアメリカ生活のきらきらした思い出を、たくさん話してあげました。
19歳からハタチまで、「大人」につながる最後の階段を登る間に過ごしたシリコンバレーという地を私はすっかり気に入って、1月になったらまた向こうの大学に編入しようと考えていました。
 
そんな中、あれは6月のことでした。
 
時々胸のあたりに違和感を感じるようになって、その上ちょっと動いただけでもへとへとに疲れてしまうようになったんです。息が切れて階段を登るのも一苦労でした。
最初は「胃が疲れてるのかな?」くらいにしか思っていなかったのが、それでだるさを感じるのはおかしいし段々嫌な予感がしてきて・・・
母に相談したら、もしかしたら悪いのは心臓なんじゃないの、って言うんです。
まさかと思いながらもどこか心にひっかかるところがあったので、安心料と思って病院に連れていってもらうことにしました。
 
先生に一通り症状を説明し、「気のせいですね」とか「ただの胃もたれですね」とか、そんな言葉を期待していたら詳しく検査することに。
 
そうして結局、心臓に病気が見つかってしまいました。
 
あまりに突然の展開に悲しみの感情すら沸き上がってこなくて、「どうして?」と、答えなんかないのに疑問がぐるぐるぐるぐる、頭の中を一瞬で埋め尽くしていったのを覚えています。
 
向こうに、いつ戻れるか分からなくなってしまった。それどころか、しばらくは長時間飛行機に乗ることもできなくなってしまいました。
 
また当たり前のようにアメリカに戻れると思っていて、またねって言って友達と別れてきたのに、大切な人だっていたのに、何より海外で生活しようと英会話塾もない田舎でひとり頑張ってきて、やっとやっと、叶えた夢だったのに。
 
どうして?なんで?
 
真っ白な悲しみでも、不安でも怒りでもない何か - それは到底一言で言い表せるようなものではない、はじめて味わう複雑な感情でした。
 
 
自分探しの旅のはじまり
でも、いつ大学に戻れるか分からなくなったからといって、ずっと実家でめそめそしている訳にもいきません。
いまここで、できることは何か。神様は何のために、私にこんな試練を与えたのか。何の疑いもなく夢を追いかけてきた過去の自分をがっかりさせないために、現在と未来の自分はどう動くべきなのか。
「アメリカの大学を卒業して、海外を飛び回るキャリアウーマンになる」という夢を少なくともしばらくの間は直接的に叶えられなくなってしまったから、人生計画を1から練り直す必要がありました。
 
とはいっても長年想い続けてきたことを早々に変えられるはずもなく、考えれば考えるほど分からなくなっていって・・・
まずは改めて、「大企業に就職したいのか、起業したいのか、それとも全く別の仕事がしたいのか」ということに対する答えを探しにいこうという結論に至りました。
私は家族がほぼ全員経営者なので、それまでの人生で典型的なサラリーマン生活を覗く機会が一度もなく、決断を下すためには自ら体験してみるのが1番だと思いました。そこで、そう思った2時間後にはFacebookで見つけたリクルート新規事業部の方に連絡し、Skypeでの面接等を経て上京することになりました。
 
たくさんの薬に、着いたらすぐにまた診てもらいなさいと渡された紹介状。自分が次に富山を離れるときスーツケースに入れることになるとは夢にも思ってもいなかった2つのものを持って、そしてこれまた次の目的地になるとは夢にも思っていなかった東京に降り立ちました。
 
久しぶりに吸う大都会の空気はやっぱり雲っていたけどどこか新鮮で、お仕事は毎日沢山の学びがあり、体力的につらいときもなんとか乗り越えて頑張りました。
そうこうして数ヶ月の間大企業で過ごさせて頂き、「就職するより独立したい」という想いが強いことに気付いたので、より経営周りのことについて深く触れられるであろうスタートアップへの転職を目指すことにしたんです。
 
 
2度目の転機
現実と、自分というひとりの人間とを改めて客観的に理解できるようになってきていた12月。体調の面でも2回目の転機が訪れました。
 
体調が優れない日が続いていたので、開業医の先生の勧めで改めて大病院で治療をすすめることになったんです。
 
色々な検査をして、どきどきしながら新しい担当医の先生が待つ診察室に向かうと突きつけられた現実は思っていたよりずっと残酷で。
「このままだと、30代まで元気に生きている可能性は50%、つまり1/2あるかどうか。生き延びたとしても、車いすで生活しなければならなくなるかもしれない。妊娠、出産にもかなりリスクがある。」というものでした。
 
最初に病気のことを知ったときもそうだったけれど、人間、あまりにもつらい現実を突きつけられるとすぐには涙も出て来ないんですね。
その瞬間もやっぱりどうして、って思うだけで、何より自分の中で起こっていることだと思いたくなかったから・・・「そうですか」と、他人事のような返事をしたのを覚えています。
だって、普段は変わらず元気なんだもの。ただすこし疲れやすくなっただけ。いきなりそんなことを言われても、当本人である私でさえ受け入れることができませんでした。
人生のタイムリミットを意識するには、あまりにも曖昧な瞬間でした。
 
何も考えられないまま処方箋を渡したら、驚いたような表情で「若いのに大変ね」と声をかけてくれた薬剤師さんから薬を受け取って、外へ繋がる大きな自動ドアのボタンを押しました。
 
病院を出てひとりになったとき、ぼーっと空を見ていたらはじめて涙が頬を伝いました。一筋だけ、静かな涙でした。悲しくて、悔しくて、怖くて。どうしたらいいか分からなくて。
 
 
トンネルの向こう 
アメリカに戻れない、転職すら難しいかもしれない、その上人生の砂時計に残された砂はもうあんまりないのかもしれない。
どう考えても絶体絶命な究極の曲がり角で、私は何日経っても絶望に打ち拉がれていました。
 
・・・となるのが普通なのかもしれませんが、ありがたいことに(?)私は普通じゃなかったみたい。笑 
 
「海外に留学して得られるものの中で1番のちの人生の役に立つのは、あんがい英語力じゃなかったりするんですよ」って。高校生のとき、留学カウンセラーの人に聞いたこと。
留学生活が私に与えてくれたのは、折れない心だったようです。
 
信じられないけど、もしも本当に、私に残された時間が同世代の若者よりもずっと短いものであるのだとしたら。どう時間を刻んでいくべきなのか・・・
立ち止まりたくないなら、進むしかない。病気のことだって、きちんと説明すれば必ず分かってもらえるはず。
決心してから約2週間の間、毎日のように色んな会社の面談を受けました。
 
そしてその中でいちばんピンと来たのが、「世界中の人を幸せにする」というビジョンのもと活動しているラブグラフだったんです。
私のぜんぶを受け止めて下さった役員の方々のおかげで、私もチームの一員になることができました。
 
富山での1ヶ月の療養生活を経て、転職のため改めて故郷を離れる日。
母からの「いつでも帰ってこられる場所はあるんだから、できるところまで頑張ってきなさい」という言葉でふわっと胸が軽くなり、それまできちんと向き合えなかった一連の出来事をやっとほんとうのこととして受け止められた気がしました。
新幹線のアナウンスで東京に着いたことを知ったとき、本当に嬉しかった。病気になって回り道もしたし、暗いトンネルの向こうが見えなくてずっと焦ってきたけど・・・
それで「おかえり」って言って迎えてもらえる場所がひとつ増えたなら、そんな人生も悪くないかなと思えました。
 
 
さいごに
病気のことを何ヶ月も迷った結果こうして公表することにしたのは、同情してほしいからとか、悲劇のヒロインみたいに扱ってほしいからとか、そういう単純な理由からでは決してありません。
他の誰でもない私の身体に起こっていることである以上、第三者にとってはもっともっと理解してもらいにくいことだと分かっていますから。
 
ただただ、 自分にはこれから先何十年も時間があって、夢を追えることが当たり前のことだと思わないでほしいんです。
人生の中で、いつどんなことが起こるかなんて誰にも分かりません。できるときに、できることを全力でやることがいかに大切なのか、そしてそうすることができるのはどれだけの奇跡の積み重ねなのか、一度立ち止まって考えてみてほしいんです。
 
「留学したいんだけど、英語はうまくないし迷ってるんだよね」
「起業したいけど、不安定になるかもしれない将来が不安で迷ってる」
「好きな人に気持ちを伝えたいのに、こたえを聞くのが怖くて迷ってるの」
・・・
こんな相談を受けるたびに、そして無意識のうちに自分も同じような迷いを抱え、何かを諦めそうになってしまいそうになるたびに、いつか文章を書こうと思っていました。
 
簡単そうで難しい、いまを生きる、ということ。
 
どうか私が文章というかたちにした勇気の種が、ひとりでもいいから誰かの背中を押してくれますように。
 
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。